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天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 2

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part 1の続き
「サンタマリア館」を後にして、天草の中心街「本渡」の病院へ。
父や叔父(父達は男4人兄弟)の叔母にあたる方(ボクの祖母の妹)のお見舞い。
最近、蜘蛛膜下出血で倒れてしまったそうで、
まだ言葉が上手く話せない状態だったけれど、
2年前ここ天草で、娘と妻と皆で会食をした事があり、
覚えてらっしゃいました。
笑顔をみれて嬉しかった・・。

その後、名古屋に住んでいる、ボクのもう一人の叔父がつい最近脳梗塞で倒れてしまって、
現在リハビリ中なんだけど、その奥(叔母)さんが天草に来ていたので合流。
お互い本当にビックリしたんだけど、叔母の日程も偶然ボクと同じ「10/23ー25」。

18:00頃、3人で祖父のいる養護施設へ。
7年前に長年連れ添った祖母を亡くし、意気消沈してしまい、
以来、何も手につかなくなってしまった祖父。
徐々に身体の自由がきかなくなってしまった祖父。
決して近くはない熊本市内から仕事が終わってから
頻繁に様子をみにきていたシシオ叔父さんとその奥(叔母)さん。
祖父は寝たきりで もう 言葉はほとんど喋れないみたいだったけど、
ボクの顔をみてビックリしたようで、
何かを必死に話そうとしてました。
祖父の身体を触ると痩せてゴツゴツ硬直してて、
何とも言えない気持ちに。
かつては巨木の切株を素手でヒッコ抜いた というマンガみたいな
エピソードを持つ怪力祖父。
とても寡黙で、働く事が愛情表現だった(シシオ談)祖父。
目と目で話し、
「こっちはみんな元気ですよ」などと たわいもない話をして
施設を後に。

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その後、ある女の人の墓参りへ。

・・現在リハビリ中の叔父が最近、
「キンコさん」という若くして亡くなった叔母さん
(ボクにとっては祖母の妹)の夢を頻繁にみるようになったらしく、
今回、供養のため代わりに叔母さんが、キンコさんの墓参りにきた、との事。
生まれて初めてキンコという名(キンコはアダ名で本名はキミコ)を耳にして、
訳もわからないまま、一緒にキンコさんの眠っているお墓へ。
墓を参ったあと、お墓のあるこのお寺に昔、亡き祖母が奉公しにきてたという事をボクは初めて知り、
シシオ叔父、叔母、ボクの3人で住職さんと色々話をしました。
話によると、今 天草は過疎化が激しいけれど、昔は炭坑でとても賑わっていたらしい。

・・・

その後、車の中で「キンコ」さんの事を色々聞いて、
彼女が17歳で自殺してしまった事を知り、
「もしかしたら、ボクに会いたかったのかもしれないな」
と思うと、
急にブワーッと体中トリハダが立って、胸から腹にかけて身体の中がアツくなり、涙が溢れてしまいました・・。
(叔父と叔母にはバレないようにしてたけど)

誰しも17歳という齢は危機の齢であり、
時代的(昭和20年代?)にも、自分の本当にしたい事が
何もできない独りの女の子の絶望感(これはあくまで叔父から聞いた話から想像したボクの憶測)を感じただけかもしれないけれど、
とても不思議な体験でした。
そして何故か途轍もない恍惚感。
ほんで、この時、ボクは「ありがとう」と呟いてました。
今でも自分が何故あの時「ありがとう」と呟いたのかよく分からないんだけど・・。
憑依?そしてgood-bye?
キンコさん、ご冥福をお祈りします。

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その後、母(旧姓 鬼海)のお兄さん(伯父)の住む、
鬼海ケ浦(「きかいがうら」ー地元の人達は「きゃあぐら」 と呼ぶ)へ。
シシオ叔父とはここで一旦別れ、明日また迎えにきてくれるという。本当にありがとう。
シシオ叔父は今は空き家になっている鬼海ケ浦から車で30分程の所にある父や叔父達の実家へ。
(*シシオ叔父は熊本市内で会社を経営してて、移動中ずっと、ボクとの会話の合間に携帯で従業員に指示を、取引先と商談をしてた・・。本当に凄い人物。)

鬼海の方の伯父さんは馬刺、天草の海の幸、ご飯7合、
ビールわんさか、を用意して待っていてくれました。
いやいや米7合なんて食べれないし。27歳ですよボクは。
あんまーい馬刺に、同じく身のあんまーいお刺身を頂きました。
ホンマにウマい!
東京やら大阪やら京都で売ってる刺身は何かの間違いとしか思えない
オイシサ。

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画像は左から

父と子(祖父とシシオ叔父)

母の生まれ育った鬼海ケ浦。

食べかけでキタないけど、海の幸達。
お皿に大盛りで、あらかた食べ終えてお腹いっぱいに
なってから、撮影。

part 3へ。
# by taishi_tomi | 2006-10-30 18:47 | 熊本 Amakusa

天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 1

天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 1_f0156951_223459.jpg天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 1_f0156951_2232931.jpg天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 1_f0156951_2234774.jpg






先日、10/23(月)ー25(水)の日程で、
熊本(天草諸島)ー小倉へ、
「絵の取材」と称して、行ってきました。
忘れないために書きとめておきます。
長いねんけど、時間のある方は是非読んでください。

ープロローグー

・・明治期に、現在の日本の文化の礎は大急ぎで「造られた」
わけだけど、そこにどういう地殻変動やら乱反射があったのか、
知らない事には絵は描けない気がして(この辺はボクの才能の限界か、資質によるものか・・?)、
学生の頃から遅々と色々調べてました。

最近、また京都に住み始めて、
図書館や本屋で「同志社ー熊本バンド」というフレーズを
それとなく目にするようになり、
「熊本バンド」(http://www15.plala.or.jp/kumanaza/kumaband.html)
に関する資料を読んでみると、
明治期のその地殻変動の中心の一つである事がわかり、
キリシタンゆかりの地(隠れキリシタン、天草四郎・・)である
天草(熊本市内から車で3時間!)とあわせて、
熊本へ色々見に行く事に。

それに、熊本・天草はボクの両親が生まれ育った地でもあるし、
入院している祖父もいるので
存命中に是非会っておきたくて。

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10/23(月)
朝一の大阪(伊丹)発の飛行機のチケットを取ったんだけど、
案の定(?)寝坊をしてしまい、顔も洗わず京都から伊丹へ。
早めの朝のラッシュに捕まってしまい、途中電車を降りタクシー
で向かうも、道は混み混み。
出発10分前というステキな時間に空港に到着。
昔なら少し待ってくれたような記憶があるけど、
セキュリティ関係が厳重になってて、出発15分前は厳守、らしい。
生まれて初めて、飛行機に乗り遅れた・・凹。

次の便まで3時間あったので、空港で朝食をとりながらカバンの中に
入ってた2ヶ月前から読んでた
トーマス・ベルンハルト『消去』を読了。

<自分達が最終的にどこからどうやって生じ、自らの存在を何によって「刻印」されたかということについては、長大な、とは言わないまでも、かなり大きな報告を制作しなければならない。(略)今日このオーストリアでは、下品さがスローガンに、低俗さが刺激剤に、まやかしがキーワードになっている、ガンベッティ君。毎朝起き出すと同時に、私たちは今日のオーストリアを死ぬほど恥ずかしく思わなければならないのだ、ガンベッティ君、と私は言った、と私は今開いた墓を前に考えた。(略)哀れなのは、この国にいながら目が見え、と私はガンベッティに言った、耳が聞こえ、知性を失ってない者だ!(略)オーストリアに戻るたびに、全身がべったり汚物にまみれる、と私は開いた墓を前に考えた。>
          ートーマス・ベルンハルト『消去』より

「オーストリア」を「日本」と言い換えて読みたくなる
この文章の内容自体は別に驚かないけど、この文体の異常さ加減は
スゲい。こんな調子が500ページ延々続く。スんバラシイ!
おかげで、幻覚と幻聴に悩まされてしまっけど・・。
その後、熊本ー天草のガイドブック片手に、
今回の旅のプランを再確認。

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13:30熊本着。
今回は急遽、都合をつけてくれた熊本市内在住の叔父さんが同行してくれる事になり(なのに飛行機乗り遅れてスビバセン・・)、
叔父の車で天草へ。

15:30 隠れキリシタンにまつわる資料を展示している「サンタマリア館」着。86歳(!)の館長が色々説明してくださいました。

明治6年まで(!)弾圧が続いてて この地のキリシタン達はずっと隠れていた事。
お寺の社の隠れた所に菩薩のようなマリア(マリア菩薩)の像を祀り、祈りを捧げていた事。心ある寺の住職はそれを見て見ぬフリをしていた事。
徳川幕府にとって不都合な文書や出来事がたくさんあったので、
天草の歴史は大半がモミ消され、消去されてしまってる事
(その事は現在もあまり知られていないらしい)。
「天草」とは 天=海 草=人々 という意味らしく、
「海の人々」という意味で、もともとは海の幸で暮らしていたけど、慣れない稲作ー重い年貢の取り立てに人々は非常に苦しんだ事。
地理的に(九州の西南に位置する小さな島々)、ジャワ等の東南アジア諸国との流通が大昔から頻繁にあった事。
そういう理由で日本で最初にキリスト教が早くから根付いた事
(ザビエルら宣教師達はアジアの、西洋と比べモノにならないほど発達した交通網を利用して日本へやってきた)。
「自由」という概念は当時の日本にはなかったけど、
「自由」という理念で生きて行こうとしたキリシタン達と、
それを危険と見なした徳川幕府。
館長曰く
「彼らキリシタン達は余りに早く「自由」を知りすぎた・・」

館長はボクに向かって話しているんだけど、目の焦点は合っておらず、もっと大きなもの(後の世代に語り継ぎたいという意思)
に向かって喋っておられました。
ボクは天草弁があんまり分からないので、その他色々お話して頂いたんだけど、意味を解さず、けれど、館長の大きなものに向かって喋っている態度に身震いし、
語り継がれる歴史とはこういうものなんだ・・、と心を揺さぶられました。

館を出ようとしたところ、出口にボクの家の家紋を彫った石が
ポツネンとあり、叔父が館長にむかって、
「館長さん、これ、ウチの家紋やけど・・」
「ああ、これは隠れキリシタンの紋や」と館長。
ギョッとする叔父とボク。
橘の紋で、3つの花びら(葉っぱ?)のデザインなんだけど、
キリスト教の三位一体(神・子・精霊)を意味してる、との事。
天草は陶芸も有名だけど、昔の茶碗の模様等には隠された意味が
たくさんあるらしく、日常生活で目にする模様の多くは、
キリスト教の教義などをデザイン化したものが多いそうな・・。

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画像は左から、
迎えに来てくれた叔父の車中からの眺め。まさに南国。

叔父(シシオ)と館長。

サンタマリア館を後にした時、非常に神々しく美しかった空。
この空を見れただけでも来て良かった、と思いました。

part 2へ。
# by taishi_tomi | 2006-10-27 01:25 | 熊本 Amakusa