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天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 4

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part 3の続き。
25(水)
シシオ叔父邸にて 7:30起床。
朝食をいただいた後、叔父と叔母に感謝と別れを告げ、

熊本バンドのメンバーの1人であった思想家の 徳富蘇峰
その弟である 徳富蘆花
が幼年期育った家であり、
兄 蘇峰がつくった大江義塾の跡でもある
「徳富記念館」へ。

  *
 * *

館長:「京都からですか。同志社の学生さん?」
ボク:「いえ、(自信なさげに・・)絵を描いています。
    日本の近代化の歴史について調べています。」

この日はたまたま館長さん1人で、朝一に変な男子(ボク)が
来たという事もあり、
一緒に館を歩いて色々解説してくださいました。
蘇峰・盧花の生い立ち、どういう幼年期だったのか詳しく
話していただく。
もともとは軍出身のジェーンズが教えてた洋学校で学んでた蘇峰。
学習態度が悪くて1度放校処分になってるらしい蘇峰。
特に神学校という訳ではなかったので、キリスト教に触れる機会は、
日曜に行われる礼拝と、授業のほんの一部だったらしいけど、
キリスト教に興味をもった学生達(おそらく、日曜日に学校や教会に集まって礼拝する、というその行為自体、そういう特殊な"コミュニティ"形成に熱く興奮した学生達)により、
明治9年、キリスト教信奉の結盟(熊本バンド結成宣言)が行われる。
天草の「サンタマリア館」館長の言うように、
明治6年までキリスト教は実質禁教・邪教扱いだったので、
明治9年のこの宣言は熊本中、日本中がひっくりかえったらしい。

そして熊本バンドの連中は、京都の同志社大学 第1期生として京都へ(同志社1期生60人中35人が熊本バンド!)。
京都はこの頃、どぎつい熊本弁がそこここで鳴り響いていた、という。

蘇峰は同志社の授業に不満を持ち(というか熊本バンドの連中は同志社の先生達をバカにしまくってたらしい。ジェーンズにより、当時日本で最先端の教育を受けていたからか・・)、
同志社を辞め、幼年期を過ごした、ここ熊本 徳富記念園の場所に
「大江義塾」を開校。
思索の日々を送る。
館長の話を聞いていると、
明治初期は日本には地方にかなり強い固有色があり、
まだ一都市集中型の文化ではなく、
そして地方からでも日本全国に伝わる形で色々鋭い発言とかができたのだなぁ、と
当時の日本の様子がまざまざと目に浮んでくる。
そして、画一化されちまった現代の日本と、
近代化黎明期の明治初期の日本を比べてみる。
  
  *
 * *

その後、ノルウェーから写真家のアイナー君が来日してて、
北九州で展示をしていたので、
会場の 現代美術センターCCA北九州へ遊びに行く。
「CCA」は東京にいた頃から噂は聞いていて、どんな場所か気になってたので、興味津々。
熊本から小倉まで 電車で1時間30分。近っ。
アイナー君と小倉で待ち合わせ 一緒にラーメン食べて、
CCAのある八幡まで。
閑散としたベッドタウン。
色々話しながら(アイナー君は日本語がペラペラ)駅から徒歩10分の場所にある、
アイナー君達が企画出品している、「八幡ビエンナーレ 展」(!?)開催のマエダスタジオへ。

画像はその様子。

左:作品の説明をしてくれるアイナー君。
奥に見えるのが彼の写真作品。

中:この作品が爆笑。
“YOU TUBE ”から拾ってきたというアマチュアが歌ったレディオヘッドの名曲『NO SURPRISES』をBGMに、
mixiとかブログとかに載っている何気ない日常の1コマの画像と、ひたすら嘔吐している画像を交互に流していた映像作品。
氾濫する日常の風景、誰でも発信できるという装置、けれどもその実どれもどうでもいい退屈で見るに耐えない断片達・・。
“嘔吐”のシーンがこの作品の批評性を支えてた・・。ていうか下らな過ぎて面白かったんだけど。
少年マンガ雑誌を束ねて、それをイス代わりに。

右:CCA外観。

・・・

展示を鑑賞後、ポートフォリオを見せてくれたアイナー君。
どれも日本人の感性じゃ絶対撮れないような色、風景。日本の風景写真なのに・・。
「風景」は「既にそこにあるもの」だけれども、
それを発見し、見いだすのは、
人間個人個人の感性なんだなー、とつくづく思いました。
1人1人、どんだけ違う「風景」を発見してその中で暮らしている事か!
面白い展示、ステキな写真を見せてくれてありがとう。

  *
 * *

その後、京都へ。九州バイバイ。

今回は(も)色んな事を考える小旅行でした(ってもう1週間以上経っちゃった・・)。

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by taishi_tomi | 2006-11-05 02:13 | 熊本 Amakusa

天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 3

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part 2の続き。
23日の晩は、鬼海(母方)の伯父の家でご馳走と寝床をもらって、
翌朝(24日)、鬼海のジジババに会いにゆく。
昔、アル中(かなり重度)で、胃を取って、肝硬変も患ってしまい、
もうとっくに死んでるハズの祖父。
軽い痴呆になってたものの、元気そのもの。
あと2年早く酒を辞めとけば痴呆にはならなかった、と医者に言われたらしい。
祖母(サイババ似)も祖父に手をヤいているみたいだったけど、元気。
今回もホコリまみれの祖父の蔵書をもらう(毎回、訪れる度に数冊もらってる)。
ゴーゴリ『死せる魂』、ツルゲーネフ『父と子』、トルストイ『復活』 計3冊。
祖父にもらってOKか聞くと、
「もー、読まんけ〜ん」と白い返事。
ああ、ボクも早くその境地にいきたい・・。

・・・

小1時間程、老夫婦と頑張って何とか話してると(ボクは天草弁が解らない・・)、
そこへ、シシオ叔父が迎えに来てくれる。
叔父とジジババは何やら話してる。
けど、意味がほとんど解らない・・。
ボクの父の世代の天草弁は何とか解るんだけど、
祖父の世代の言葉は、
「独特のイントネーションの発声」(さしすせそ、ざじずぜぞ が言えなくて、
しゃしぃしゅしぇしょ、じゃじぃじゅじぇじょ、ex先生=しぇんしぇい)
や「省略する子音」、「天草独自の名詞・形容詞」が多い・・。
「あぁよ〜、みぞかっどぉ」(「あら、かわいいわね」 の意)

途中、ボクは意味を読み取るのを放棄して、音楽として、歌として話を聴いてました。
すると、ものスゴい抑揚に満ちた素晴らしい言葉だという事に気付く。
とても明るい良い歌。(ちなみに大阪弁は少しソウルフルな歌。京都弁は陰翳のある歌。東京は上手なんだけど、あまり魅力を感じない歌。とボクは思う。)

  *
 * *

その後、再び叔父の車で、天草を南下。
大江天主堂
崎津天主堂
高浜焼・寿芳窯と上田資料館
等を巡って、天草のほぼ最南端、牛深港で昼食。
やっぱり魚介類が途方もなく美味い。

帰りはコレジョ館へ。
天正遣欧少年使節団についてのビデオ・資料を鑑賞。
少年使節団は、ローマまで行き、かの地で大きなインパクトをもって
受け入れられたらしい。
帰国後、彼らは持ち帰った活版印刷(ルネサンス!)を日本で初めて導入。
けれど、日本のルネサンスは根付く間もなく吹き飛び、
少年使節団(切支丹)は、豊臣秀吉(下剋上→権力者)との謁見をメルクマールに、
苦難を生きる事となる。

・・・

そして、叔父の知り合いで塩田を営んでいる方がいて、塩田見学。
塩の精製方法を教えていただく。

それから もう1度 養護施設の祖父と面会し、
鬼海のジジババに「また家族できます」と別れを告げ、
父や叔父達の実家近くの、祖母が眠る墓へ墓参り。

  *
 * *

車中、久しぶりにシシオ叔父とお互い色んな話をする。
天草の地元の人はほとんど教会や切支丹の歴史に無関心である事。
教会も、前を通る事はあっても車を止めて見学する事はないらしい
(地元は案外そんなモノだと思うけど)。
ボクの名前は「大志」なので(*作品を発表する時の名義は「大士」)、
薄々キリスト教(クラークさん)に感化された時期があったんだろうなぁ、
とは思ってたんだけど、
父の蔵書の中に聖書があって、聖書に「クロスは人間の魂である」と
若い頃の字(多分高校時)書かれていたのを、つい最近発見して
ビックリした事を叔父に言ってみる。
「もしかしたら、祖先が切支丹である事を無意識にウスウス感じてたかもしれない」
けど、「誰しも青臭い時があるけん」と叔父。
叔父にとっての父(兄貴)は、学生時代 バットを持って他校生と暴れていた兄貴、
というイメージしかないらしい(親父は愚連隊か?)。
富永の弟、という事で危機を何度もスルーしてきた弟、シシオ叔父。

墓参りの後、3時間かけて21時頃 熊本市内 着。
叔父さん、丸2日間本当にどうも有り難うございました。

  *
 * *

画像は左から、

何故か妙な配置のジジババ。

高浜焼。海松(みる)模様。

塩田にて。海にはこの世のあらゆる物質が混ざっている、との事。
毎日、塩(の結晶)を相手に暮らしている松本さん。ステキな方でした。
「小さな海」という名で天草のお土産屋等で売っています。

part 4へ。
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by taishi_tomi | 2006-11-01 23:36 | 熊本 Amakusa