カテゴリ:熊本 Amakusa( 5 )

ロンパース展終了、そして熊本・天草へ。

f0156951_22553480.jpg

f0156951_22555138.jpg

写真が少しボケてますが・・(笑)
ロンパース展、無事終了しました。
わざわざ観に来ていただいた方、
主催者の方、この企画を教えてくれた友人、
会期中、会場に滞在していただいた作家さん、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

今回は京都のモノつくりの層のブ厚さ(熱さ)を肌で感じる事ができました。
f0156951_22561649.jpg

会期終了日、ライブの後の茶話会。
わいわいがやがや。

現在、この展示で一緒になった作家さんが発行されている“anemonem”という雑誌に
ボクの原稿(文章)を載せてもらっています。
レオ=レオニ『マシューのゆめ』について書いています。
関西の方しか手に入りませんが、見かけたら、是非手に取って読んでみてください。
乙女な感じの雑誌です。ミカさんありがとう。



f0156951_2256538.jpg

ロンパース展が終わって、すぐに、夜行バスで熊本へ。
熊本市内から更にバスで2時間、天草・本渡へ。
本渡でレンタカーを借り、走る事1時間。
こう書くとめっちゃ遠いな・・。実際めっちゃ遠いねんけど。
祖父の眠る墓へ参りに行きました。

一昨年、存命中に会いに行って、去年亡くなり、今まで墓参りに行けなかったので。
f0156951_22571220.jpg

祖父の家からの眺め。
なんか、バリのウブドっぽい。繊細なウブド。
ちょっと2ヶ月位滞在して詰めて絵を描きたいなー、という欲望が。
祖父の家にレジデンスっ。山ごもりっ。

海にも少し行って。疲れたけど、リフレッシュできました。
f0156951_22572860.jpg

[PR]
by taishi_tomi | 2008-04-21 00:08 | 熊本 Amakusa

天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 4

f0156951_373059.jpgf0156951_375121.jpgf0156951_38534.jpg






part 3の続き。
25(水)
シシオ叔父邸にて 7:30起床。
朝食をいただいた後、叔父と叔母に感謝と別れを告げ、

熊本バンドのメンバーの1人であった思想家の 徳富蘇峰
その弟である 徳富蘆花
が幼年期育った家であり、
兄 蘇峰がつくった大江義塾の跡でもある
「徳富記念館」へ。

  *
 * *

館長:「京都からですか。同志社の学生さん?」
ボク:「いえ、(自信なさげに・・)絵を描いています。
    日本の近代化の歴史について調べています。」

この日はたまたま館長さん1人で、朝一に変な男子(ボク)が
来たという事もあり、
一緒に館を歩いて色々解説してくださいました。
蘇峰・盧花の生い立ち、どういう幼年期だったのか詳しく
話していただく。
もともとは軍出身のジェーンズが教えてた洋学校で学んでた蘇峰。
学習態度が悪くて1度放校処分になってるらしい蘇峰。
特に神学校という訳ではなかったので、キリスト教に触れる機会は、
日曜に行われる礼拝と、授業のほんの一部だったらしいけど、
キリスト教に興味をもった学生達(おそらく、日曜日に学校や教会に集まって礼拝する、というその行為自体、そういう特殊な"コミュニティ"形成に熱く興奮した学生達)により、
明治9年、キリスト教信奉の結盟(熊本バンド結成宣言)が行われる。
天草の「サンタマリア館」館長の言うように、
明治6年までキリスト教は実質禁教・邪教扱いだったので、
明治9年のこの宣言は熊本中、日本中がひっくりかえったらしい。

そして熊本バンドの連中は、京都の同志社大学 第1期生として京都へ(同志社1期生60人中35人が熊本バンド!)。
京都はこの頃、どぎつい熊本弁がそこここで鳴り響いていた、という。

蘇峰は同志社の授業に不満を持ち(というか熊本バンドの連中は同志社の先生達をバカにしまくってたらしい。ジェーンズにより、当時日本で最先端の教育を受けていたからか・・)、
同志社を辞め、幼年期を過ごした、ここ熊本 徳富記念園の場所に
「大江義塾」を開校。
思索の日々を送る。
館長の話を聞いていると、
明治初期は日本には地方にかなり強い固有色があり、
まだ一都市集中型の文化ではなく、
そして地方からでも日本全国に伝わる形で色々鋭い発言とかができたのだなぁ、と
当時の日本の様子がまざまざと目に浮んでくる。
そして、画一化されちまった現代の日本と、
近代化黎明期の明治初期の日本を比べてみる。
  
  *
 * *

その後、ノルウェーから写真家のアイナー君が来日してて、
北九州で展示をしていたので、
会場の 現代美術センターCCA北九州へ遊びに行く。
「CCA」は東京にいた頃から噂は聞いていて、どんな場所か気になってたので、興味津々。
熊本から小倉まで 電車で1時間30分。近っ。
アイナー君と小倉で待ち合わせ 一緒にラーメン食べて、
CCAのある八幡まで。
閑散としたベッドタウン。
色々話しながら(アイナー君は日本語がペラペラ)駅から徒歩10分の場所にある、
アイナー君達が企画出品している、「八幡ビエンナーレ 展」(!?)開催のマエダスタジオへ。

画像はその様子。

左:作品の説明をしてくれるアイナー君。
奥に見えるのが彼の写真作品。

中:この作品が爆笑。
“YOU TUBE ”から拾ってきたというアマチュアが歌ったレディオヘッドの名曲『NO SURPRISES』をBGMに、
mixiとかブログとかに載っている何気ない日常の1コマの画像と、ひたすら嘔吐している画像を交互に流していた映像作品。
氾濫する日常の風景、誰でも発信できるという装置、けれどもその実どれもどうでもいい退屈で見るに耐えない断片達・・。
“嘔吐”のシーンがこの作品の批評性を支えてた・・。ていうか下らな過ぎて面白かったんだけど。
少年マンガ雑誌を束ねて、それをイス代わりに。

右:CCA外観。

・・・

展示を鑑賞後、ポートフォリオを見せてくれたアイナー君。
どれも日本人の感性じゃ絶対撮れないような色、風景。日本の風景写真なのに・・。
「風景」は「既にそこにあるもの」だけれども、
それを発見し、見いだすのは、
人間個人個人の感性なんだなー、とつくづく思いました。
1人1人、どんだけ違う「風景」を発見してその中で暮らしている事か!
面白い展示、ステキな写真を見せてくれてありがとう。

  *
 * *

その後、京都へ。九州バイバイ。

今回は(も)色んな事を考える小旅行でした(ってもう1週間以上経っちゃった・・)。

[PR]
by taishi_tomi | 2006-11-05 02:13 | 熊本 Amakusa

天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 3

f0156951_25388.jpgf0156951_2532311.jpgf0156951_2534178.jpg






  *
 * *


part 2の続き。
23日の晩は、鬼海(母方)の伯父の家でご馳走と寝床をもらって、
翌朝(24日)、鬼海のジジババに会いにゆく。
昔、アル中(かなり重度)で、胃を取って、肝硬変も患ってしまい、
もうとっくに死んでるハズの祖父。
軽い痴呆になってたものの、元気そのもの。
あと2年早く酒を辞めとけば痴呆にはならなかった、と医者に言われたらしい。
祖母(サイババ似)も祖父に手をヤいているみたいだったけど、元気。
今回もホコリまみれの祖父の蔵書をもらう(毎回、訪れる度に数冊もらってる)。
ゴーゴリ『死せる魂』、ツルゲーネフ『父と子』、トルストイ『復活』 計3冊。
祖父にもらってOKか聞くと、
「もー、読まんけ〜ん」と白い返事。
ああ、ボクも早くその境地にいきたい・・。

・・・

小1時間程、老夫婦と頑張って何とか話してると(ボクは天草弁が解らない・・)、
そこへ、シシオ叔父が迎えに来てくれる。
叔父とジジババは何やら話してる。
けど、意味がほとんど解らない・・。
ボクの父の世代の天草弁は何とか解るんだけど、
祖父の世代の言葉は、
「独特のイントネーションの発声」(さしすせそ、ざじずぜぞ が言えなくて、
しゃしぃしゅしぇしょ、じゃじぃじゅじぇじょ、ex先生=しぇんしぇい)
や「省略する子音」、「天草独自の名詞・形容詞」が多い・・。
「あぁよ〜、みぞかっどぉ」(「あら、かわいいわね」 の意)

途中、ボクは意味を読み取るのを放棄して、音楽として、歌として話を聴いてました。
すると、ものスゴい抑揚に満ちた素晴らしい言葉だという事に気付く。
とても明るい良い歌。(ちなみに大阪弁は少しソウルフルな歌。京都弁は陰翳のある歌。東京は上手なんだけど、あまり魅力を感じない歌。とボクは思う。)

  *
 * *

その後、再び叔父の車で、天草を南下。
大江天主堂
崎津天主堂
高浜焼・寿芳窯と上田資料館
等を巡って、天草のほぼ最南端、牛深港で昼食。
やっぱり魚介類が途方もなく美味い。

帰りはコレジョ館へ。
天正遣欧少年使節団についてのビデオ・資料を鑑賞。
少年使節団は、ローマまで行き、かの地で大きなインパクトをもって
受け入れられたらしい。
帰国後、彼らは持ち帰った活版印刷(ルネサンス!)を日本で初めて導入。
けれど、日本のルネサンスは根付く間もなく吹き飛び、
少年使節団(切支丹)は、豊臣秀吉(下剋上→権力者)との謁見をメルクマールに、
苦難を生きる事となる。

・・・

そして、叔父の知り合いで塩田を営んでいる方がいて、塩田見学。
塩の精製方法を教えていただく。

それから もう1度 養護施設の祖父と面会し、
鬼海のジジババに「また家族できます」と別れを告げ、
父や叔父達の実家近くの、祖母が眠る墓へ墓参り。

  *
 * *

車中、久しぶりにシシオ叔父とお互い色んな話をする。
天草の地元の人はほとんど教会や切支丹の歴史に無関心である事。
教会も、前を通る事はあっても車を止めて見学する事はないらしい
(地元は案外そんなモノだと思うけど)。
ボクの名前は「大志」なので(*作品を発表する時の名義は「大士」)、
薄々キリスト教(クラークさん)に感化された時期があったんだろうなぁ、
とは思ってたんだけど、
父の蔵書の中に聖書があって、聖書に「クロスは人間の魂である」と
若い頃の字(多分高校時)書かれていたのを、つい最近発見して
ビックリした事を叔父に言ってみる。
「もしかしたら、祖先が切支丹である事を無意識にウスウス感じてたかもしれない」
けど、「誰しも青臭い時があるけん」と叔父。
叔父にとっての父(兄貴)は、学生時代 バットを持って他校生と暴れていた兄貴、
というイメージしかないらしい(親父は愚連隊か?)。
富永の弟、という事で危機を何度もスルーしてきた弟、シシオ叔父。

墓参りの後、3時間かけて21時頃 熊本市内 着。
叔父さん、丸2日間本当にどうも有り難うございました。

  *
 * *

画像は左から、

何故か妙な配置のジジババ。

高浜焼。海松(みる)模様。

塩田にて。海にはこの世のあらゆる物質が混ざっている、との事。
毎日、塩(の結晶)を相手に暮らしている松本さん。ステキな方でした。
「小さな海」という名で天草のお土産屋等で売っています。

part 4へ。
[PR]
by taishi_tomi | 2006-11-01 23:36 | 熊本 Amakusa

天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 2

f0156951_2393576.jpgf0156951_2395137.jpgf0156951_240914.jpg







  *
 * *

part 1の続き
「サンタマリア館」を後にして、天草の中心街「本渡」の病院へ。
父や叔父(父達は男4人兄弟)の叔母にあたる方(ボクの祖母の妹)のお見舞い。
最近、蜘蛛膜下出血で倒れてしまったそうで、
まだ言葉が上手く話せない状態だったけれど、
2年前ここ天草で、娘と妻と皆で会食をした事があり、
覚えてらっしゃいました。
笑顔をみれて嬉しかった・・。

その後、名古屋に住んでいる、ボクのもう一人の叔父がつい最近脳梗塞で倒れてしまって、
現在リハビリ中なんだけど、その奥(叔母)さんが天草に来ていたので合流。
お互い本当にビックリしたんだけど、叔母の日程も偶然ボクと同じ「10/23ー25」。

18:00頃、3人で祖父のいる養護施設へ。
7年前に長年連れ添った祖母を亡くし、意気消沈してしまい、
以来、何も手につかなくなってしまった祖父。
徐々に身体の自由がきかなくなってしまった祖父。
決して近くはない熊本市内から仕事が終わってから
頻繁に様子をみにきていたシシオ叔父さんとその奥(叔母)さん。
祖父は寝たきりで もう 言葉はほとんど喋れないみたいだったけど、
ボクの顔をみてビックリしたようで、
何かを必死に話そうとしてました。
祖父の身体を触ると痩せてゴツゴツ硬直してて、
何とも言えない気持ちに。
かつては巨木の切株を素手でヒッコ抜いた というマンガみたいな
エピソードを持つ怪力祖父。
とても寡黙で、働く事が愛情表現だった(シシオ談)祖父。
目と目で話し、
「こっちはみんな元気ですよ」などと たわいもない話をして
施設を後に。

  *
 * *

その後、ある女の人の墓参りへ。

・・現在リハビリ中の叔父が最近、
「キンコさん」という若くして亡くなった叔母さん
(ボクにとっては祖母の妹)の夢を頻繁にみるようになったらしく、
今回、供養のため代わりに叔母さんが、キンコさんの墓参りにきた、との事。
生まれて初めてキンコという名(キンコはアダ名で本名はキミコ)を耳にして、
訳もわからないまま、一緒にキンコさんの眠っているお墓へ。
墓を参ったあと、お墓のあるこのお寺に昔、亡き祖母が奉公しにきてたという事をボクは初めて知り、
シシオ叔父、叔母、ボクの3人で住職さんと色々話をしました。
話によると、今 天草は過疎化が激しいけれど、昔は炭坑でとても賑わっていたらしい。

・・・

その後、車の中で「キンコ」さんの事を色々聞いて、
彼女が17歳で自殺してしまった事を知り、
「もしかしたら、ボクに会いたかったのかもしれないな」
と思うと、
急にブワーッと体中トリハダが立って、胸から腹にかけて身体の中がアツくなり、涙が溢れてしまいました・・。
(叔父と叔母にはバレないようにしてたけど)

誰しも17歳という齢は危機の齢であり、
時代的(昭和20年代?)にも、自分の本当にしたい事が
何もできない独りの女の子の絶望感(これはあくまで叔父から聞いた話から想像したボクの憶測)を感じただけかもしれないけれど、
とても不思議な体験でした。
そして何故か途轍もない恍惚感。
ほんで、この時、ボクは「ありがとう」と呟いてました。
今でも自分が何故あの時「ありがとう」と呟いたのかよく分からないんだけど・・。
憑依?そしてgood-bye?
キンコさん、ご冥福をお祈りします。

  *
 * *

その後、母(旧姓 鬼海)のお兄さん(伯父)の住む、
鬼海ケ浦(「きかいがうら」ー地元の人達は「きゃあぐら」 と呼ぶ)へ。
シシオ叔父とはここで一旦別れ、明日また迎えにきてくれるという。本当にありがとう。
シシオ叔父は今は空き家になっている鬼海ケ浦から車で30分程の所にある父や叔父達の実家へ。
(*シシオ叔父は熊本市内で会社を経営してて、移動中ずっと、ボクとの会話の合間に携帯で従業員に指示を、取引先と商談をしてた・・。本当に凄い人物。)

鬼海の方の伯父さんは馬刺、天草の海の幸、ご飯7合、
ビールわんさか、を用意して待っていてくれました。
いやいや米7合なんて食べれないし。27歳ですよボクは。
あんまーい馬刺に、同じく身のあんまーいお刺身を頂きました。
ホンマにウマい!
東京やら大阪やら京都で売ってる刺身は何かの間違いとしか思えない
オイシサ。

  *
 * *

画像は左から

父と子(祖父とシシオ叔父)

母の生まれ育った鬼海ケ浦。

食べかけでキタないけど、海の幸達。
お皿に大盛りで、あらかた食べ終えてお腹いっぱいに
なってから、撮影。

part 3へ。
[PR]
by taishi_tomi | 2006-10-30 18:47 | 熊本 Amakusa

天草 2006 10/23(月)ー25(水) part 1

f0156951_223459.jpgf0156951_2232931.jpgf0156951_2234774.jpg






先日、10/23(月)ー25(水)の日程で、
熊本(天草諸島)ー小倉へ、
「絵の取材」と称して、行ってきました。
忘れないために書きとめておきます。
長いねんけど、時間のある方は是非読んでください。

ープロローグー

・・明治期に、現在の日本の文化の礎は大急ぎで「造られた」
わけだけど、そこにどういう地殻変動やら乱反射があったのか、
知らない事には絵は描けない気がして(この辺はボクの才能の限界か、資質によるものか・・?)、
学生の頃から遅々と色々調べてました。

最近、また京都に住み始めて、
図書館や本屋で「同志社ー熊本バンド」というフレーズを
それとなく目にするようになり、
「熊本バンド」(http://www15.plala.or.jp/kumanaza/kumaband.html)
に関する資料を読んでみると、
明治期のその地殻変動の中心の一つである事がわかり、
キリシタンゆかりの地(隠れキリシタン、天草四郎・・)である
天草(熊本市内から車で3時間!)とあわせて、
熊本へ色々見に行く事に。

それに、熊本・天草はボクの両親が生まれ育った地でもあるし、
入院している祖父もいるので
存命中に是非会っておきたくて。

 *
* *

10/23(月)
朝一の大阪(伊丹)発の飛行機のチケットを取ったんだけど、
案の定(?)寝坊をしてしまい、顔も洗わず京都から伊丹へ。
早めの朝のラッシュに捕まってしまい、途中電車を降りタクシー
で向かうも、道は混み混み。
出発10分前というステキな時間に空港に到着。
昔なら少し待ってくれたような記憶があるけど、
セキュリティ関係が厳重になってて、出発15分前は厳守、らしい。
生まれて初めて、飛行機に乗り遅れた・・凹。

次の便まで3時間あったので、空港で朝食をとりながらカバンの中に
入ってた2ヶ月前から読んでた
トーマス・ベルンハルト『消去』を読了。

<自分達が最終的にどこからどうやって生じ、自らの存在を何によって「刻印」されたかということについては、長大な、とは言わないまでも、かなり大きな報告を制作しなければならない。(略)今日このオーストリアでは、下品さがスローガンに、低俗さが刺激剤に、まやかしがキーワードになっている、ガンベッティ君。毎朝起き出すと同時に、私たちは今日のオーストリアを死ぬほど恥ずかしく思わなければならないのだ、ガンベッティ君、と私は言った、と私は今開いた墓を前に考えた。(略)哀れなのは、この国にいながら目が見え、と私はガンベッティに言った、耳が聞こえ、知性を失ってない者だ!(略)オーストリアに戻るたびに、全身がべったり汚物にまみれる、と私は開いた墓を前に考えた。>
          ートーマス・ベルンハルト『消去』より

「オーストリア」を「日本」と言い換えて読みたくなる
この文章の内容自体は別に驚かないけど、この文体の異常さ加減は
スゲい。こんな調子が500ページ延々続く。スんバラシイ!
おかげで、幻覚と幻聴に悩まされてしまっけど・・。
その後、熊本ー天草のガイドブック片手に、
今回の旅のプランを再確認。

  *
 * *

13:30熊本着。
今回は急遽、都合をつけてくれた熊本市内在住の叔父さんが同行してくれる事になり(なのに飛行機乗り遅れてスビバセン・・)、
叔父の車で天草へ。

15:30 隠れキリシタンにまつわる資料を展示している「サンタマリア館」着。86歳(!)の館長が色々説明してくださいました。

明治6年まで(!)弾圧が続いてて この地のキリシタン達はずっと隠れていた事。
お寺の社の隠れた所に菩薩のようなマリア(マリア菩薩)の像を祀り、祈りを捧げていた事。心ある寺の住職はそれを見て見ぬフリをしていた事。
徳川幕府にとって不都合な文書や出来事がたくさんあったので、
天草の歴史は大半がモミ消され、消去されてしまってる事
(その事は現在もあまり知られていないらしい)。
「天草」とは 天=海 草=人々 という意味らしく、
「海の人々」という意味で、もともとは海の幸で暮らしていたけど、慣れない稲作ー重い年貢の取り立てに人々は非常に苦しんだ事。
地理的に(九州の西南に位置する小さな島々)、ジャワ等の東南アジア諸国との流通が大昔から頻繁にあった事。
そういう理由で日本で最初にキリスト教が早くから根付いた事
(ザビエルら宣教師達はアジアの、西洋と比べモノにならないほど発達した交通網を利用して日本へやってきた)。
「自由」という概念は当時の日本にはなかったけど、
「自由」という理念で生きて行こうとしたキリシタン達と、
それを危険と見なした徳川幕府。
館長曰く
「彼らキリシタン達は余りに早く「自由」を知りすぎた・・」

館長はボクに向かって話しているんだけど、目の焦点は合っておらず、もっと大きなもの(後の世代に語り継ぎたいという意思)
に向かって喋っておられました。
ボクは天草弁があんまり分からないので、その他色々お話して頂いたんだけど、意味を解さず、けれど、館長の大きなものに向かって喋っている態度に身震いし、
語り継がれる歴史とはこういうものなんだ・・、と心を揺さぶられました。

館を出ようとしたところ、出口にボクの家の家紋を彫った石が
ポツネンとあり、叔父が館長にむかって、
「館長さん、これ、ウチの家紋やけど・・」
「ああ、これは隠れキリシタンの紋や」と館長。
ギョッとする叔父とボク。
橘の紋で、3つの花びら(葉っぱ?)のデザインなんだけど、
キリスト教の三位一体(神・子・精霊)を意味してる、との事。
天草は陶芸も有名だけど、昔の茶碗の模様等には隠された意味が
たくさんあるらしく、日常生活で目にする模様の多くは、
キリスト教の教義などをデザイン化したものが多いそうな・・。

   *
  * *

画像は左から、
迎えに来てくれた叔父の車中からの眺め。まさに南国。

叔父(シシオ)と館長。

サンタマリア館を後にした時、非常に神々しく美しかった空。
この空を見れただけでも来て良かった、と思いました。

part 2へ。
[PR]
by taishi_tomi | 2006-10-27 01:25 | 熊本 Amakusa